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彼女の福音

参拾壱 ― Habla Con Ella ―

 時々不安になることがある。

 陽平と付き合って、もうそろそろ一年だろうか。ふと気付いたことがある。

 陽平は、自分からあたしのことを好きだと言ってくれたことがない。

 彼氏としての自覚はある、と思う。優しくしてくれるし、気を利かせてくれる時もたまにある。そしてあたしが聞いたら、恥ずかしがりながらも「そりゃ好きだよ」とは言ってくれる。

 でも。

 今私の目の前にいるバカップルのように、それが当り前であるかのような自然な会話にはならない。

「早苗、好きだ」

「ありがとうございます。私も秋生さんが大好きです」

「……はぁ」

「ん?どうした杏」

 ケーキの入った箱を受け取りながら、智代が聞いてきた。

「いやさぁ、あたしも今の会話を陽平とできたらなぁって思っちゃって」

「ふむ」

「何つーかこう、自然にさ、『杏、好きだよ』『あたしもよ、陽平』みたいなことにならないかしらね」

「いや、今のは秋生さんが何かを早苗さんにごまかす時に使う常套手段だぞ」

 ちなみにこの親友とその旦那さんの場合、滅多に「好きだ」とは人前で言い合わないが、その代わりよく手を取り合ってお互いの目を見つめ合いながら名前を呼び合ったりする。こっちの方がもしかすると重症かもしれない。

「そうだな、そういう不安を解消してくれる人は……ああ、いたな」

 智代がぱちんと指を鳴らした。

「へえ、誰誰?」

「有紀寧さんのおまじないに、そういうのがあったと思う。おぼろげだが、あの人のおまじないはピンポイントかつ百発百中だから、何かあると思うぞ」

「うーん、じゃ、行ってみようかな……」

 

 

 

 

 

 

「そういうことでしたか」

 癒される笑顔を咲かせながら、有紀寧がコーヒーを持って来てくれた。

 ここは、有紀寧とその旦那さんが経営する喫茶店、「Folklore」。コーヒーの味では、そんじょそこらのチェーン店など、歯牙にもかけない。またお洒落な内装もあって、結構若い子の間じゃ人気らしいが、時たま強面のお兄さん方の溜まり場となるのが玉に瑕とのこと。もっとも、あたしと智代が入ると、なぜかそういった人がそろそろと店を出ていくのであまり気にならないのだが。

 今は結構空いているので、こうして有紀寧と話ができる。

「でも、私から見れば藤林さんと春原さんはとてもお似合いに見えますよ?」

「そうねぇ……でも中には傍から見れば全く不釣り合いな二人もいるじゃない」

「例えば?」

「遅刻の常習犯と生徒会長とか」

 

 

 

「う゛〜、風邪かな」

「朋也もか?私もだな……ふふふ」

「何だよ」

「いや、二人揃って風邪で寝込んだら、一緒にいられるなって」

「俺は智代が辛い思いをするのは嫌だ」

「朋也……」

「だからお前の分も俺が風邪をひいてやる」

「朋也……」

「だからそん時は看病頼んだぞ」

「ああっ、任せておけっ!」

「智代……」

「朋也……」

 

 

 

「そうですね。では、自分のことを好きだっていう人がわかるおまじないです」

 やり方は簡単だった。両手の人差し指と親指でハートマークを作り、オモイオモワレフリフラレ、と三回唱えるだけとのことだった。

「ちなみに春原さんは高校生の時にこのおまじないをやってみたことがありました」

「……へぇ。で?」

「校舎を五周しても誰も話しかけてくれなかったそうです」

 何だかね……誰かに話しかけられたらそれはそれで嫌だっただろうけど、五周してもゼロって言うのは、さすがにね……

「次にデートなさる時に、試してみてはいかがですか?」

「そうね……でも、他の誰かに声をかけられたらどうしよう?」

「そんな時はきっぱりと『私には大好きな彼氏がいますから』と言って断るのがベストです。それでも迫られるようでしたら」

「迫られるようだったら?」

「また来てください。ソフト面でもハード面でも、お手伝いできるかと」

 すると、厨房から有紀寧の旦那さんが現れた。

「おう、藤林の姐御じゃねえか。何だ、変な奴に付きまとわれてるとか?」

「あ、そういうのじゃなくてね」

「姐御みたいな華にゃ、変な虫も寄り付くだろうに、そんな時は言ってくれ。うちの若い衆で何とかしてやるから」

 ハード面って、そういうことね……

 

 

 

 

 

 

 というわけで、今日あたしは公園のベンチで陽平を待っている。

 陽平が遅いんじゃなくて、あたしが早いのだ。あたしは辺りを見回すと、有紀寧に教わったおまじないを唱えた。

「ふぅ。さーて、どうなるかしらね?」

 確かに早く来たのはあたし。でも、そこは自称「紳士」なんだから(真偽はともかく)、彼女を待たせるのはどうなのかしらね。そこんとこ乙女心とかそういうの汲んで、さっさと来ちゃいなさいよ。

 しばらくすると、何故かいきなりジェットスキーに乗った男がやってきて、あたしの方を見た。そして

「ヘイ、来ないのかい!」

 これって、あたしを誘ってるの?

 何だかすごく嫌な誘いよね……あ、でもこれって、あたしのことを好きってこと?え、で、でもこんな濃いキャラに好かれても、あ、あたし……

 

 

「イエーイ!ホップだぜ!」

 すると、後ろの茂みからポゴスティックを抱えた男が出てきた。

「遅いぞ、ホップ斉藤」

「すまねえな、ジェット斉藤。パーティーには間に合うか?」

「お前がいなけりゃ始まるものも始まらねえよ。乗りな」

 そう言って、二人はジェットスキーに乗ってどこかに行ってしまった。

 ホップ斉藤がいなくて始まらないパーティーって、どんなのよ?

 そう頭を捻っていると、向こうから二人の見慣れた友人が歩いてくるのがわかった。朋智バカップルだ。

 え?まさかあの二人のうちの一人に声をかけられるの?え?でも結婚してるでしょ?え?

 

 

 

「杏、話があるんだ」

「どうしたのよ朋也、そんな真剣な顔して」

「いろいろと智代と話したんだ。すまないが、俺と付き合ってくれないか」

「え?でも、あんたには智代がいるじゃない」

「いいんだ杏……私は朋也が幸せなら、それでいいんだ……杏、朋也を頼んだぞ」

「え?え?」

「さあ、一緒に教会に行こう」

「ちょっとまっ」

「おめでとう」

「おめでとう」

 

 

 

 何だか嫌ね、それ。というか、あたしはもう陽平の彼女だから、そこではいはいと言うわけないんだけど。

 はっ、もしかして、迫るのは朋也じゃなくて……

 

 

 

「杏、話があるんだ」

「どうしたのよ智代、そんな真剣な顔して」

「今まで隠してきたんだが、私はその……杏のことが好きなんだっ!」

「え?ええっ?」

「もう、どうしようもないんだ、この気持ち。朋也にはすまないが、私は杏が一番ほしいっ!」

「杏、頼む。俺はこいつが笑ってりゃ、それでいいんだ。一緒になってくれないか」

「ちょっと何このカミングアウトッ!」

「さあ杏、一緒に禁断の愛を成就させよう……」

「アッ―――――――――――――――――!!」

 

 

 

 うっわぁ、最悪。

 絶対にそれだけは避けなきゃなんないわね。よし、二人には悪いけど、無視するって方針で。

「あれ、あそこにいるの杏じゃないか」

「あ、本当だ」

 作戦失敗。見つかっちゃった。

 そしてあたしは見た。朋也が笑って手を振るのを。

 あたしは見た。朋也が「おーい」と声をかけるために口を開くのを。

 

 

 そしてあたしは見た。そのすぐ後ろから早苗さんが超高速で走って、朋也を轢くのを。

 

 

「……は、古河パンの黒歴史だったんですねぇえええええええ!!」

 空を舞う朋也。空中で見事にサマーソルト、どう見ても10.0ですありがとうございました。そして顔から地面に着地。這い上がろうとするのを、非情にも時速七十キロで走る早苗さんに踏みつぶされた。再び地面にのめり込む朋也。

「朋也っ!」

 智代が朋也に駆け寄る。しかしそれより速く、何かが接近して

 

 

「……れはっ!大好きだあああああああああああああああああ!!」

 

 

 グシャベキャ

 再び踏みつぶされる朋也。古河パンの超特急二連発が通過して、砂埃が収まった後には、モザイクをかけなきゃいけないような、変わり果てた親友の姿が。

「と……朋也っ!なあ、朋也、返事をしてくれっ!」

「と……とも……よ」

「そうだっ!朋也とラブラブなともぴょんだぞ?ほら、元気を出してくれ……でないと泣いてしまうぞ?」

「智代……」

「ん?どうしたんだ?ほら、朋也、私がわかるか?」

「……ありがとう」

 朋也が智代の頬を震える手で撫でた。

「な、何を言い出すんだ朋也?それじゃあまるで」

「……お前のおかげで、いい人生だったよ」

 すると、朋也の手が、力なく地面に落ちた。もう、動かなかった。

「朋也?朋也っ!ともやああああああああああああああああ!!!」

 

 

 


 さあ、いこう

 世界は美しく

 そして

 人生はかくも素晴らしい

 

 It’s a wonderful life!

 

 

 

 

 

 

「何だかバカップルぶりがまた進化してるわね……」

 未だに朋也の亡骸(?)にすがりついて泣いている智代を見て、あたしはため息を吐いた。

「救急車を呼ぶって選択肢は思いつかなかったのかしらね」

「んー、普通そうするよね。あ、でも看護士が椋ちゃんだとねえ……」

「あー、言えてるわね。あの子時々何やるか解らないしね」

「でもまあ、あれってオッサンと早苗さんよくやるよね。とうとうその領域まで近づいたってことかな。あ、岡崎が気がついた」

「そうねえ……あたし達もそこまでいけるといいわねぇ」

 向こうで、朋也が咳きこみながら呟いた。

「……お待たせ、智代……また待たせたか……?」

「勿論だ。いつだってお前は、私を待たせてばかりだ……最初に別れた日から八ヶ月……お前が倒れてから半年……そしてお前が眠ってしまってから……一体どれくらい待たせれば気が済むんだ?」

 今の待たせ時間、およそ一分半。

「私はもう……こんなに……」

「ごめん……でも約束する。二度とお前をひとりにしない。もうこの手は、二度と離さない。今度はお前が幸せになる番だ。俺がお前を幸せにする」

「朋也……」

「さあ、いこう。素晴らしき人生を」

「朋也っ!!」

 けっ、この万年新婚さんめ。というか、そこ、生還エンドなの?

「そうだねぇ……」

 ふとその時気づいた。あたしは誰と話してるんだろう?

「ん?何?僕の顔に何か付いてぶふらぐへえっ!!」

 思わず笑ってる陽平をシルマリリオンで殴ってしまった。

「アンタ、彼氏に何するんすかっ!!!!」

「あはは、ごめーん、手が勝手に動いちゃって……」

「ったく、デートのたんびに勝手にで殴られちゃ、いくら僕でも死ぬわ」

「怒んないでよ、陽平。ほら、何か奢ってあげる、から、さ……え?」

「ん?どうしたの?」

「……ううん!何でもない」

 おまじないは、最初に自分に話しかけてくれた人が、自分のことを好いてくれている人だといった。つまり、あたしのことを好きだって思ってくれている人と言えば……

「何か心配して損しちゃったっ!」

「?何の話?」

「ううん、ただ、あたしが陽平のこと大好きって話」

「はぁ?……ま、まあ、そのあれだ、うれしいけどさ」

 そう言いながら頬を掻く陽平の腕に抱きついて、あたしは笑顔で聞いた。

「これからどこ行く?」

「どこ行こっか……」

「あたしはどこでもいいわよ。だって」

 

 

 だって、ねえ?好き会ってる二人なんですもの、どこに行ったって楽しいわよね?

 

 

 

 

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